昭和43年5月1日 朝のご理解
X御神訓「信心は本心の玉を磨くものぞや」
御神訓に「信心は本心の玉を磨くものぞや」と「信心は本心の玉を磨くものぞや」とおっしゃいます。磨く方といたしましても、やはり、磨くと言うことは刃物を研ぐと言うことですね。刃物を研いでいくように、それにはやはり、その砥石がなからなければならない。そこで、私どもそのいろんな問題、難儀な問題と言ったような様々なその問題は、様相を呈してくるのですけれども、そういう様な問題を磨く材料にすると砥石が砥石にすると言ったようなことを申します。まあ、これは間違いなく確かになすりが砥石であり、それによって磨かれていくことは間違いないです。
信心さしていただきます、けれども、その何かがなからなければ、磨かれないと言うという事じゃないのですね。むしろ、そのそういう問題が起こったり無かったりする中にですね、そのただ、こう有り難い、ただ有り難いと言うその心が、いよいよ、心を清めまた磨いていけれるそれが実を言うたら、本当のことじゃなかろうかと思うのです。困ったことが起こらなければ、磨かれないとまあと言うのではない。2代金光様の四神様の御修行、3代金光様の実意丁寧、もうこれはその、御修行の実において、四神様の御修行はもう徹底されたものであった。その修業によってあの金光様は2代金光様は磨いておいでになった。日々それこそうまずたゆまず、磨き続けられるそれを修業にとられた。
3代金光様は、勿論、御修行もですけれども、はっきり分けるわけには実は、参りませんけれども、まあそういう風に言われております。3代金光様は皆様ご承知のように、それこそ「あからさまにも、ゆるがせにしたまわず」という
油断無く、すべての事に実意を込められた。四神様がはっきり言うなら表行をもって磨いておいでられたら、金光様は心行をもっていよいよ人間としての信心というかその完璧な域にまで、達しられたと言う方が私は金光様だと思うね。
修業によって、磨いていく勿論その問題を修業とすることも事実ですから、問題によって、難儀な問題に取り組んで、その難儀な問題によって自分が磨かれていくという生き方もある。ほとんどそのそういう考え方をしておるようですね。その問題を通して自分が磨かれていくというこれも大事なことですけれども、そうするとこれも問題がなから無ければ磨かれないことになるね。そこで、
私どもは絶えずうまず、弛まずの信心修業を心がけしてもろうて信心修業によって磨いていく。
確かに、信心修業さしていただいておりますとですね、汚しもしません。修業に本気で取り組んでおると汚しもしないだけでなくて、それを良いように清め、磨いていこうとするお陰が頂かれるのですね。「信心は本心の玉を磨くものぞや」ですからね。ところがそのお陰を頂きますとその修業の方も怠る。心行の方も怠る。そしてまた難儀な問題が起こってくるとまた新たに修業を始める。またそれから、また本当に磨こうとと言う気持ちになると言うのでは繰り返し繰り返しでありますから、勿体ない、相済まんご信心になるのです。
ですから、どうしてもです本気で信心の「信心は本心の玉を磨くものだ」としてあらゆる事柄捉えては、それを磨く材料にしていくということと同時にね、修業の精神をもって本気で一つその磨くことに修業させてもらう焦点を。
同時に、実意丁寧、神信心をもってね、全てのことに行き届いた信心をさせてもろうて、本気で磨いていこうとということに心を定めなければなければならん。言うなら、もう手につけ、足につけ、もう磨くこと一つに焦点を当てていくと言う生き方。
お取り次ぎ、昨日、まあ一寸した失敗というよりも本当に大変な失敗ですね。
まあ、私は一寸した失敗の様に思うけれども、神様の目からご覧になりゃ大変な失敗じゃろとこう私は思うですけれども、まあ本当にお陰を頂いてから一日こうやってええ別に問題があろうが無かろうが、まあ、修業させていただく気持ちが私の心の中には一杯です。修業によって本気でお陰をいただきたい。本当に磨かせていただこうと言う気になる。勿論、そこには表行も心行も心の中に感じます。
10時の御祈念を終わらしてもらって それから夕食をとらしてもらいますそれで 久富先生としげおさんが残っておられました...。お茶を頂いてまた, ..,テレビでも見せて頂きよりましたら.もう11時ですから皆さんお帰り下さいと言って..まあ帰っていただいたところが、食事の後に私この頃まあ足りないですよね. 食べるのが少しですから昆布を頂いておりますから昆布を頂く, それが」堅い堅い昆布ですから. 口の中に入れとくとやっぱり20分位口の中に入れとかんと溶けないんです.. その昆布を口にいれ乍ら, 久富先生としげおさんを帰られるのをここまで送って参りましてから. そんなら。ここで御無礼するよと
言うて送り出した.
そして, このお広前から神様にお礼申させていただくのに、昆布が口の中に
入っておりますからむくむくしながら神様にお礼を申したんですよ..
そして, もう早う休もう休もうと言う気持ちですね. 。もうこのころは10分間
でも早く休みたいと思う。 朝の時間にご無礼しちゃならん。それで.,それこそ駆け足で自分の部屋に参りましてから、休ましてもらった。ところがどっこい休まれん。もう本当に布団の中で右向き左向きしながらですね。 そうすると神経痛まで温もってくると、痛んでくる。それから大祓をあげ始めると大祓なんかあげても休まれん。それからまた布団の上に起きあがってからご無礼が出来とると思ってから,またお詫びさせて頂いてたら、 私がここで昆布を口に入れながら、 ご祈念したことが,頭に閃いた。
一寸,例えば,これを捨てて口を濯いで御祈念にでれば良かった。もう御祈念は最後の御祈念はしてあったけれどもです。 それから私はまたお広前に出て参りました, それでまた,口を濯いでご神前に出していただいた。 もう1時半からになっている。それだけぐずぐずしていた時間がある訳なんですよね。あっちを向いたりこっちを向いたり,大祓をあげたりしよったりして、どうして眠られんじゃろか,どうして.眠られんじゃろかばっかりいいよる。大祓あげても眠られん. それでそのこと気づかせて頂いてから,ここにお詫びに出て参りました。そしたらねえ.昔の若い娘さんたちは,日本髪を結いますね、 日本髪をきれいに結い上げて一番最後に,赤い布をつけますでしょうが,あれはなんというますでしょうかね。 まあ言うなら,リボンのようなものですがね。それを結い上げておる最後につけておるところを頂いた。
例えば,一日がかりでゆうなら磨かせていただいた. 1日がかりで綺麗に髪を結い上げさせていただいた。 まあ言うなら1日がかりで自分の信心が成就した
お陰で磨くこともできた。 けれどもです,最後に赤い布をつければ,これはアクセサリ-かもしれんけれど.その髪は生き生きとしていない。 結い上げた髪に簪が挿されるとか,赤い布がつけられるとかしなければ、その髪全体が生き生きしてこない。
最後の一寸した赤い心,赤い心というのは,ゆうなら修業の心とでも言うだろう。
真心とでも言うだろう。赤心とも言うだろう。最後のところがですそれこそ三代金光様の事を御祝詞で申し上げるところなんかね.。あからさまにもゆるがせにしたまわずと言うような言葉を使って御座いますよ。それこそこれから先だけでも,針で押すだけでも,ゆるがせにし給わなかった。これはもう全ての点にそれを感じた。
1日例えば,こうして一生懸命修行させていただいて,1番最後に休ませていただく時になってです,一寸したご無礼が,後一押しでもなか、半押しもなかと言うようなところでです. まあ油断をしたと言う感じが致します。それが眠られん基になっておる.。
本心の玉を私は磨くと言う例えば,1日そこに焦点を置いて磨かして頂く,だから最後に仕上げと言うものが為されなければならない。折角磨ききるしほど磨いたのに,まだ砥の粉がついておるとか,まだ砥石の何かがついておるのじゃいかん。やっぱり最後に綺麗にしていくところのそういうしの心が私どもに欠けておる.。.
4月30日の締めくくりであったから,そういうことなら,いつもあっている事だろうと思う。けれどもネ神様は大目ににみておって下さったんです。けれども,4月の最後の締めくくりであると言うだけに4月と言ういわば大変な月であった。 大祭もございましたからお陰をこうむらして頂いたその月の最後の締めくくりが,昆布を口に入れてから,あげあげしながらご無礼申し上げるような事を神様は許されなかったと言う感じが致しました。
そこで今日の5月1日,この5月こそはです,1日から,昨夜そうやって身をもって教えて下さったそのことをです,本気で一つ取り組ませて頂くことによって一つ磨かせて頂こうと言う気に今朝からならせて頂いた訳で御座います。
これだけの事が出来た, もう朝参りはした,やれやれじゃない, もう1日中がです最後のお陰を頂きまして布団のなかでお礼申し上げるところ迄がです,やはり信心がなければならない。磨くといっても様々な難儀な問題を通してその難儀を砥石代わりに磨く材料にして磨いていく,これは言うなら荒磨きのようなものであろう。
それをいよいよ,磨き上げていくのが常日頃の修業精進,と同じだ全てのことに実意を込めてという信心,それによって 磨かしていただける,しかもあからさまにもゆるがせにしたまわずと言うようなところを金光様のこういった御内容をです,私どもの信心の内容に頂いて,本当に最後の最後までお陰を頂きまして有り難う御座いますといいながら,それを唱えさせて頂きながら寝床に就かせていただけるようなお陰を頂きたい。目ごもう信心を極めていきたい。
5月の月は最後の仕上げ的なそこの処をです大事にさして頂きたいと今朝から思わしても頂き,お願いもさしていただいた訳で御座います。折角,1日がかりで結い上げた髪に,最後の一押しのほんの赤い心という例えばここに出らしていただくのに,一寸手を洗ってくる,口を濯いでくる,それだけで足りるのにである。
まあ,例えば言うならそんな簡単な処をです,簡単なところだけに私どもが疎かにしておるところが沢山あろうかとこう思うのです。それを昨日は4月30日の1日の締めくくりであったから,そこの処を教えて下さったのじゃないですけれども,けれども来月,夕べから言うと5月1日,この今日から実意丁寧神信心をです本気で一つ自分のものにしていくと私は思っております。
例えば、その過程を申しますとね,例えば,、髪を洗っただけで結い上げてもせんなら勿体ないようやく結い上げたその髪をまた,次の処へ持って行かなかったら,また汚れてしまうと言うようにです 。 洗うたならば,梳き上げたならば,やはり結い上げなければならん。これを1日がかりで結い上げさせていただいたならばねお陰を頂いて有り難い,最後に赤心をそこへ込めての信心,赤いアクセサリーになりますものです、が赤い布がその髪につけられて初めてその結い上げられた髪が見事と言うことになってくる。1日をそういう心持ちでね,お互い過ごさせていただきたいと思うのです。
どうぞ